サンクトペテルブルク

サンクトペテルブルクはかつてロシア帝国の首都であった街で、現在はモスクワに次ぐロシア第2の都市。

18世紀はじめ、ロマノフ王朝はモスクワに代わる新しい都を作ることを決意。

元々広大な湿地だったサンクトペテルブルクを埋め立て、当時流行のデザインで次々に建物を作った。

そのため、街には運河(船の移動のために人工的に造られた水路)がたくさんあり「水の都」と呼ぶ人もいる。

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サンクトペテルブルクは湿地帯を人口都市に変えた街

ロマノフ王朝の第5代皇帝ピョートル大帝(1672〜1725)は「遅れたロシアをヨーロッパに負けない国したい」という思いを持っていた。

そのため、進んだヨーロッパ文化を学ぼうとヨーロッパを訪問。

旧市街にある「人類学・民俗学博物館」にはピョートル大帝がドイツから持ち帰った大きな地球儀がある。

ピョートル大帝は広大なロシアの中でヨーロッパ文化を一番吸収できる場所はバルト海に面したサンクトペテルブルクという膨大な湿地帯と考えた。

湿地帯をヨーロッパに負けない都市に変えるという10年に及ぶ大工事を経て、ピョートル大帝は1713年にロシアの首都をモスクワからサンクトペテルブルクに移転。(1918年に首都はモスクワに再移転)

当時のヨーロッパ最先端の建築様式を誇る人口都市を作り上げた。

そのため、サンクトペテルブルクは「皇帝の夢の都」とも言われている。

街を作るにあたり、バロック様式をはじめ、18世紀にヨーロッパで流行していた建築様式の多くを取り入れているので、まるでヨーロッパのような街並みの街。

たくさんの運河と橋

サンクトペテルブルクは湿地を埋め立てて作られた街なので、たくさん運河と橋がある。

40以上の島をたくさんの橋がつないでいる。

橋の数は約400ほど。

エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館は元々18世紀半ばに建てられたロマノフ王朝の王宮だったが、現在は世界有数のコレクションを誇るロシアの国立美術館となっている。

建物自体が豪華絢爛で美術品のよう。

1990年に世界遺産に登録されている。

美術館の前には、旧市街の中心である宮殿広場が広がる。

●公式サイト(ロシア語と英語)
The State Hermitage Museum, St. Petersburg, Russia

血の上の救世主教会

1881年、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に建設された。

棟の上の丸い飾りはロシア正教の特徴である通称「ネギ坊主」と呼ばれるもので、雪が積もりにくくなる役割を兼ねているが、それ以上に見た目的なインパクトが大きい。

マトリューシカ

マトリューシカはロシアの伝統的な人形。

カラフルで人形の中には複数の人形が入っている。

お土産屋さんには必ず置いてある。

ストロガノフ宮殿

ストロガノフ宮殿は18世紀のロシアバロック様式の傑作。

建築家バルトロメオ・ラストレッリにより設計。

薄いピンク色の壁が印象的。

ストロガノフ家はピョートル大帝の側近として使えた貴族。

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ストロガノフ伯爵(1733〜1811)は最新のヨーロッパ文化を次々に取り入れることで有名だった。

当時、宮殿内では毎日のように贅を尽くした晩餐会が開かれていた。

当時のヨーロッパでは部屋を広く見せるために部屋の片方の壁一面を鏡ばりにすることが大流行していたが、ストロガノフ宮殿でもそれを取り入れていた。

ちなみに、ロシアの伝統料理ビーフストロガノフは、年をとって歯が弱くなったストロガノフ伯爵のアイデア料理と地元では言われている。

ペテルゴフ宮殿

ペテルゴフ宮殿はロマノフ王朝第5代皇帝ピョートル大帝がサンクトペテルブルク郊外に作った宮殿。

ピョートル大帝はロシア近代化の証として水が自在に操れる技術を世界にアピールするため、噴水作りに特に力を入れた。

水を操り人々を感動させようとしたピョートル大帝の試みは、後の皇帝たちも真似し競うように作っていき、今では150もの噴水がある。

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